断酒1461日目 四年が経過

断酒期間四年が過ぎた、二度目の閏日もすぐに過ぎる

来年も多分同じように五年目を迎えるだろう

 

11月から、今月末にある資格試験の為に勉強している

記憶が中々定着しきれなかったり、上手くいってるとは言い難い

先週の土日なんかは机に向かっても集中出来ずに、

10キロくらいサクッと走って気分転換しても、いまいち捗らなかったりしてさ

 

まー、それでも、ただ酒を飲んでるだけの土日よりはマシだろう

おれは飲まないだけ前に進んでいるんだ!

 

なんて。冗談、四年も過ぎるとそんな過程はとっくに過ぎた

その土日は単に目標に向かえなかった時間が過ぎただけだ

 

結局のところ、断酒をしたからってスーパーマンになるわけじゃない

出来のよくない体と頭にムチ打って、高く跳ぼうとする事を懲りずにやるだけ

出来ない自分に言い訳をしない

そんな生身の自分がいるっていうのは今でも驚きなんだ

 

振り返ろうとしても四年前の自分?っていうのはもう分かんないや

これが終われば夏にも又試験、それが終われば

又試験で年末に向かう、その途中の今日

四年間の研究結果 途中報告

生身の身体が目指すものがある今日を若さと言う

 

 

断酒1350日目 ING

今回も問わず語りで行ってみよう

 

自営業の準備期間だった。

自営を始めるにあたり、帳簿をつけなきゃいけないから、初めて簿記のことを調べたり、

自営業や会社の組織ってそういえばよく分からないな、という所から商法ってそういえば触れてこなかったな、

図書館に行って、商法の本を見てみたら序文に商法は六法のうちの云々〜、とか書いてるけど、

待てよ、おれ六法全書の六法って何のことか分かってないぞ、

という自分の無知に対する衝撃があった。

今は会社勤めだけどその当時、この先一人で自営とか起業とか目指した時に、

こんな知識のままでいていいんだろうかと思っていた。

 

話変わって、高校生の頃

バンドとバイトに夢中であまり勉強をしなかった。

バイトで稼いだ金を音楽とファッションと遊びにつぎ込んで、

その当時は大真面目に、そうやって大人になっても過ごしたいと思っていた。

大学受験からは逃げてファッション系の専門学校に行った。

将来の事は緩めに考えてて、何とかなるでしょと思っていた

逃げてたな、将来の事も舐めてたな、ハードルの設定なんか考えもしなかった

 

一時期海外逃亡をしたけど、卒業してから長くこの業界にいるって事は、この進路で何とかなっているのかもしれない

でも、ゴールが見えるにはまだ若く、業界は何年も冬の季節から春に変わらず、

周りがバタバタと倒れていく中、やり続けるためにはこれから色んな知識も求められるようになる。

 

無為に過ごしていた時間を、酒やめたから自由に使うことが出来るんだ、いまなら勉強に時間を使う事が出来るんじゃないか

大学の勉強をしてみようと思い立ったのが2017年の夏で、色々調べた。

日本大学の通信教育ならば3年次編入が出来るようだった。認定単位が多く、基礎教養的科目が免除される。

商学部でやりたい勉強ができるみたいだ。会計〜簿記〜商法が体系的に学習できる。マーケティング経営学、貿易論、今まで仕事で実践してきた事を学問の観点から学ぶことができる。

英語ができずに苦労する人が多いらしい。だけど、こちとら旅と仕事で培ったど根性英語がある。

じゃあ、やってみるか

 

その年の10月に編入して、仕事も忙しかった中で最短で卒業出来たのは、まあまあ頑張ったかな

金さえ払えば卒業できる、と揶揄する人がいる程には、

レポート作成、試験勉強やスクーリングは時間が取られて簡単にはいかなかったし、

編入卒業率40パーセントの挫折する人の多い出口、と言われる大変さは感じなかった。

まあ、そんな感じ。成績も良くもなければ悪くもなく卒業出来た。

 

週末に大量に飲んでいた頃の自分には、学習の継続は不可能だった。これは確実に言える。

ちょっとした勉強の負荷にストレスを感じて、止まらない一杯を飲んだらダメ押しで、記憶を無くして、勉強した事も吹っ飛んじゃって、

空気がしぼみ続ける風船みたいにやる気が消えていく。

酒をやめてからは前の週の勉強、前の月に学習した事を覚えてるから、学習意欲がキープ出来ている。

年4回ある試験や3日間ぶっ続けのスクーリングが終わった後、打ち上げで乾杯!

なんてしないで、ジョギングして疲れを飛ばす

六法の一つは、というか今は商法じゃなくて会社法だけど結構しっかり勉強した。

今なら六法の六法とは何かをウィキペディアを見ずに答えられる。

 

中長期的な勉強とジョギング、断酒には共通するものを感じる。

何れもやらなくても生活は成り立つし、日々は過ぎて行く。

その辛い事は誰から強制されたものではないし、何ならいつでも辞めていい。

では、何故やるのか

これを始めたのは他でもない自分だし、考えの詰まる所、やるかやらないかは自分次第という所に行き着く。

始めた時はマジでこんな事やれんのかよ、と思うけど、

地道に通過点を過ぎて行くと、出発地点から遠くに辿り着いている。じゃあもう少しやってみるか、が、いつしか習慣になっていく

 

ひとまず、目標の一つを終わらせた。この2年で普段の生活に勉強を習慣づける事が出来た。

次は、今まで手をつけられなかった業界資格を来夏に取れるように勉強を続けよう

中国行きの話もある、そういう事になったら中国語の習得も視野に入れよう

40歳までにある国家資格にチャレンジもしてみたい

 

 

勉強から逃げ、遊びまくって、アルコール依存症にもなったり今までに回り道をした、

今は酒をやめて、やり直しの人生を送っている。

何なら高校生からつまづいて引っかかっていた宿題を、倍近く生きた後にやり直したりしている

ものの本では、課題を繰り返し乗り越えてくことが自分の自信に繋がって、その経験が自己肯定感を作る

みたいなことが書いてある

これは、尤もだ。でも、自分の弱さや自信の無さが酔いやぶっ飛びの世界に留めた経験を持つ自分は、

自分なりの結果を少しづつ得られたとしても、はっきりした自己肯定感を持てる迄には至らない、

それでも、まだこれが出来るようになりたい、これを知りたい、知るべく努力するという事をしていきたいと思う

 

一杯ひっかけながら、根拠のない夢物語をペラっと語っていた頃でもなし、

二日酔いのどん底で、自分が用なしの人間に思えた日曜の夕方にも、もういない

 

自己肯定感とは、進んだ結果ではなく、進む過程にあると信じている

 

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断酒1317日目 Sapporo Times

いつもブログを書く時はアップする前に何回か書き直している。

今日は一筆書きで、たまには。

 

北海道へ旅行に行ってきた。

6泊7日の車旅で、釧路、知床、旭川、小樽、札幌、新千歳と回ってきた。

北海道の車旅は2回目で、ケムくて、酒が多く登場した20歳の旅行からは大分違った、一番安い軽自動車からエクストレイルにも変わった、夫婦2人の時間と金を使った旅行だった。

 

山や畑しかない風景を、好きな音楽を掛けながらドライブして、次の目的地に行く。

昔好きだった音楽を聴いたな。そういえば、前の旅行でもDiamond on the insideをかけていた。

普段、より効率的なものを求めて、求めなくてはいけない生活で忘れかけていた、

ああ、自分は無駄と言われているものに価値を見出す事が好きだったと思い出した。

 

ヒグマに対する印象が変わった。

今まではどちらかというと、人里に現れる害獣のような印象や、人間を殺す恐怖の対象でしかなかったけど、

知床に初めて行って、ヒグマの生息地に人間が住んでいる感覚

っていうのが分かったのが、価値観の変化だった。

アイヌの人や、今のカナダ辺りに住んでいたインディアンは、ヒグマを神の使いのように捉えているみたいで、そんな神秘性に少しだけ触れた。

 

相泊より先の命は自己責任。この感覚もヤバかった。

 

ハイライトは、旅行の最後に札幌で友人達が集まってくれて、飲み屋を何件かハシゴした。

集まって話していて、ギャグを期待される自分がいて、その期待に応えるって感覚が、

普段の探り合いの会話からは対極の、若かった頃を思い出した。

陳腐な言い方だけど、そんな風な友人がいるのは人生で豊かな事だと思った。

 

皆んな楽しそうだった。あと1時間、もう1時間楽しみたい、もっと楽しむためにもう1杯飲みたい。って奴から潰れていった。

これだよなあ、これを追い求め続けたな20代は

 

長い髪の女が似合う

酔い潰れにはソウルが似合う

このアイデンティティは何処にもないもの

夜が更けてもダンスは踊る

 

断酒1096日目 三年が経過

年毎の区切りの記録を今年も

 

断酒三年を無事迎えられた

今思うことは継続する大事さだな

一年目より二年目の方が視野が広がったし、三年目はかなり落ち着いたものだった。

続けたから分かる事がある。

これからも変わらず日常生活を続けていき、身近な人の不幸が起きた場合とか、三年の間に経験していない感情に対処できるかどうかだな

ジョギングも継続している

たまにメリハリをつけたジョギングはするけど、好き勝手に走っていたらいつのまにかハーフマラソンのタイムが縮んでいた。

勉強も二年目、続けていけばやはり景色は変わる。

 

仕事も普段の生活も勉強も、酒を飲んでいたら乗り越えられなかったなと思う場面が多いです。

酒を飲んでいたら今の生活が出来ないだろうという、トレードオフの状態になっています。

見方を変えれば、今の生活を望まなければ酒を飲む生活でもいいということで、

自分の場合は飲まない選択肢をとりますが、現状、まあ、不満や不便はないけど酒やめた方がいいかもな〜、というような環境の人であれば、動機としては酒をやめるのは難しいかもしれないですね、

やめてみて、変えるべき環境だったと、あとから気付くことも多いと思いますが。

 

こういう節目の記録は見てもらえる機会が多いので、

断酒三年経過した私に少しでも説得力を感じるとしたら、少し言いたいことが

医療機関に関係していないだろう人が、

アルコール依存症でも、自分の経験上機会飲酒は可能とか、思いついたことを絶対的に正しいように発信していたものを見て、どうなんだろうと思いモヤモヤしています。

根拠のない個人的一意見が正しく見えて発信されることは少なくありません、また、受け取り手は、情報にバイアスがかかり、自分に都合の悪い情報は頭に残りにくくなります。

 

酒の問題を認識している人は、とりあえず心療内科へ行ってみてはどうでしょうか、

医師の診断は自分の立ち位置が何処にあるかを客観的、医学的に示してくれます。

アルコール依存性という診断でなければ、断酒も視野に入れた酒との付き合い方を考え、

アルコール依存性という診断であれば断酒する方法を模索すべきだと思います。

 

断酒して三年が経ち、酒を飲むのも飲まないのも、良し悪しとは別に、結局は個人の自由だという意見を今持っています。

それは、自分が飲まないでいる自由を他人に侵害されたくないので、他人が酒を飲む自由も尊重すべきだと思うからです。

ただ、経験則として酒をやめた方がいい人には酒をやめた生活が快適で、得るものが多いと伝えたいです。

正しい知識と多くの人が成功しているやり方を選び、進んでほしいと思っています。

 

と、三年記念にノリで上から言ってみました。

次のブログからはいつもの個人的記録に戻りますのでお許しを

 


Our Road (aka 'Now That It Feels So Good Tell Everybody') - Lee Oskar (1980)

 Now that it feels so good. Tell everybody.

 

断酒1046日目 ハーフマラソン大会3回目

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今日は3回目のハーフマラソン、去年の年末も同じコースを走った。

初めて出た大会が2時間15分、去年の大会は2時間10分、今回は2時間3分

レースは後ろからスタートしてずっと抜き続ける感じで行った

全体で見れば自分より早い人の方が多い、でも、タイムもレースも追いかける目標がある内はいいもんだ。

 

実は今年の頭から委託先の会社に誘われて、自営を畳んで会社勤めをしている。自営の活動は一年半で終わった。

経営の奥深さみたいな事まで全く辿り着けなかったけど、一番ミニマムな仕事の作り方と、自分が最初から最後まで決定して、全て動かすというのは経験として残ったかな

 

入社したのは業界中堅の素晴らしい理念の会社で、今までにないホワイト待遇

ただ、業界が冷え込みまくりの現状では、どこで仕事しても同じで、相当やらないと結果が残せない。

誘われた決め手が、そこで結果を出して自営でやっていた事を規模を大きく出来たら、

なんてビジョンを言われたのももはや過去で、

まーー、上手くいかなくて、言われる事は言われまくったし、結構タフな一年でした。

仕事上、若い人の下働きみたいな事もするしさ、オールドルーキーとしてやってる。

それでもいつもこう思ってる

今がその時じゃなくても、その時がくるまでやるべき事をやろうと  

リンカーンの言葉も心に刻みついている

これは、格言の言うところのつまづきではないけど、

新たなスタートをした時の姿勢が大事なんだって信じている。

 

加えて、仕事の合間に勉強をした一年だった。

この勉強については断酒との関係性もあり、書きたいので終わったら書きます。

三年後、40歳手前から追い上げするように予定を立てて今やろうとしています。

飲んでいた頃は、行き当たりばったりで、

金曜の夜どれだけ飲むかわからなかったから、その週の土曜の予定さえ立てられなかったあの男が、まさか

 

走っているタイムは、進行形で縮んでいる

断酒の期間も、一区切りと言われる三年まであともうすぐだ

35歳を過ぎても色々追いかけるものがある、俺はまだ若い

 

酒をやめたからこうなったのか、めぐり合わせの不思議か

最悪に落ちていた三年前の年末から、こんな所までこれた

確かな事は、あのまま飲み続けていたら辿り着けなかったって事だ

後ろから追い上げていこう、いつもの調子で、また来年もやり続けよう

 

 

ラソン行く前の、電車で気持ちあげるのにPROTOCULTUREを聞いていた

問答無用で上げてくるこの感じ、やっぱりトランスもいいね!

 


Protoculture - Out of reality

 How do they know that the real world isn't just another simulation ?

 

 

 

断酒1000日目 NOW IS NOT THE TIME

 

現在、35歳、30歳になるかどうかの頃に心療内科へ行った。

明らかな健康問題も、連続飲酒が止まらないっていうこともなかったけど、

飲んだらとことんまで行かないと気が済まなくて、

今日の飲みがほどほどに済んでも、次の飲みには泥酔するまで行きたい、

次の飲みがほどほどに済んだら、その次こそはぶっ飛びたい

みたいな調子で、そのぶっ飛んだ時にはいつも、帰ると一緒に住んでいた彼女に怒られて喧嘩して、

そうでなければ、彼女のいない所で好き勝手にやっていた。

大喧嘩の後での、ポーズとして行ったのか今では定かではないけど、

心療内科に行くことで取り繕ろうとしていた

問診では、飲酒量や飲酒習慣のほか、家族構成や薬物の摂取経験なんかを聞かれて答えた気がする

結果、アルコール依存症という診断を受けた。

本気で酒をやめたいなら抗酒剤を処方すると言われたけど、

その時は気持ちも半端だったから、適当に言って断って帰った。

 

それからの日々、どうやらアルコール依存症は酒を断つしかアルコールとの付き合い方はないらしい

でも、俺から酒をとったら交友関係を含めて何も無くなるだとか、

否認の病気の名の下に言い訳をして、自分に都合のいい解釈を探していた

飲んでも量を決めながら飲めばいいだろうとか、平日禁酒ならいいだろう、とか、

甘い考えに流されて、それも少し経てばいつも通りの飲み方に戻っていった。

変えたいけど、変えられない、今がその時じゃない

 

3年の間、ブラックアウトの頻度も増えた。

仕事もブラック企業の奴隷みたいな状態で、神経もすり減って、金もないし、

周りの仲間は家庭を持ったり、順調な仕事の話なんかを聞いて

妬みや嫉みが自分の中で発酵して、澱んでいった。

年明けの出張から帰ったら彼女が荷物ごと出て行くと言ってた、どん底の年末に

恵比寿リキッドルームでこんな曲を聴いていたんだ

 

” NOW IS NOT THE TIME BUT NOT SO FAR

時は来る  だけどその時は  今じゃない

NOW IS NOT THE TIME BUT NOT SO FAR

時は来る  今じゃないけど  必ず来る

MILESのbotがアンサー   リラックスしろよ   このマザーファッカー ”

 

年が明けて2月から断酒を始めた。

始めてから、酒を飲む誘惑という誘惑が思いつく限りにあった。

人間の脳はサボりたがるように出来ている

飲みたい理屈は頭では分かってる、禁酒セラピーの内容も頭に入ってる。

でも強い欲求が確かにある。

気持ちが揺らいだその先に、自分はアルコール依存症なんだという事実と、

最後に酒を飲んだ時に感じたことが防波堤となって、初期の不安定な頃を踏みとどまれた

それで後で思った、診断を受けてから断酒に踏み出せなかった間は、

その時じゃなかったんだ、自分は3年かけてスタート地点へ進んでいたんだと

 

やろうとしてるけど、上手く行かない

自分だけが特別辛いんだと、くさりそうになったりもするさ

今はその時じゃなくても、その時はいずれ来る

 

” がっつくんじゃねえ やるべき事をやれ MY MEN

時は来る  今じゃないけど必ず来る リラックスだぜ NOT SO FAR

その時が来たら YOU MUST FIGHT    RIGHT ?

  

 

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断酒 900日目 父の病気

69歳の父に大腸ガンが見付かった。

年明けから調子が悪くて、何度か検査をして見付かったらしい。

とはいえ、初期段階で転移もなく、先週の手術したその後が問題なければ、

大事にはならないそうだ。

母から病気の話を聞いた時には少し動揺したが、

父もそんな病気にもかかる年齢なんだと少し納得もした。

 

父は50代で早期退職するまで洋酒を扱う会社で働いていた。

バブル期、バブルが終わっても洋酒業界は相当華やかだったようで、平日はいつも帰りが遅かった

働き盛りをその中で過ごしたのは父のアイデンティティになっていたと思う。

中学生の頃から、母はJTのパートに出ていた。

僕は酒とタバコ(からの生活費)によって大きくなったといっても過言ではないだろう

父も母も酒とタバコが好きで、息子も酒とタバコが好きになった。

小さい頃から家に当たり前にありすぎたので、

やめてから暫くしても、それらが生活空間に無くて普通、という感覚が中々持てなかった。

 

少しずつ老いを感じる父が、会う度に酔っ払っていた時期があった。

昼飯には酒が付き、夜には必ず晩酌をしていた。

半リタイアの生活なら、まあ、それもよくある話だよなと思いつつ、

このアルコール依存症の兆しを止めさせるには、息子の行動で見せるしかないと思った事も、

酒をやめてから、断酒を継続するモチベーションの一つだった。

でも、酒イコール人生みたいな父に断酒を勧めるというのは難しかったな

 

調べると、大腸ガンは飲酒、喫煙、加工肉の食べ過ぎや、運動不足が要因と言われているらしい。

病気になる人、ならない人はある意味偶然の産物かもしれないけど

父の場合は、人生晩期の通信簿で、若い頃から費やしてきた分のツケを払うことになった

 

病気にかかった父の姿は、酒やタバコをやめていなかったもう一人の自分の未来だ

今、僕の生活は酒がない生活が当たり前すぎて、最初の頃の気負いなんかもうないけど、

やめ続けたこの日数が説得力に変わるなら、あらためて、

一緒に酒をやめようと、伝えてみよう

 

以前書いたように、立ち直ろうとする姿が人の心を動かすと信じている

つまずいた時こそどういう気持ちで立ち上がるか

リンカーンパイセンのあの言葉の意味を嚙みしめよう

 

暑い日々が続きますが、体を大事に

こうして酒を飲まない日々は人生の後半で意味を表す、きっとさ

 

 

 


You Ain't Going Nowhere Nitty Gritty Dirt Band

 


Larkin Poe & Thom Hell - I Belong To Love

 LAID BACKな新旧2曲

良い夏を !!